母の日に想う ― 2024/05/12 17:13
母が亡くなって20年半
母が亡くなった年齢に、あと10年で追いつく。
77歳で亡くなった母に、段々近づいて行く
どんどん年齢差が縮まって行くような、奇妙な気がする。
76歳で癌が見つかり、
手術で取り切れず、
再発して入退院を繰り返し、
1年半ほどで逝ってしまった。
最後は”自分の家で”、と望み、
終末専門医の訪問診療を受けながら自宅で過ごした。
(正に”自分の家”であり、母が相続した土地と、母名義の家屋だった)
最後の数ヶ月は、毎週のように東京から実家に帰ったが、、
親孝行には、ほど遠く、、
最後は、朦朧とした母に、為す術もなかった。
母が残した遺書は、
残った父に、その家に気兼ねなく住んでもらうという前提で、
母名義の土地家屋を私の姉に相続させる
というものだった。
”実家に戻って来ない○○(私の名前)には相続させたくない。
先祖から譲り受け、私が大切にした家や庭は△△(姉の名前)にずっと守って貰いたい”
などど、気の強い母らしい事も書いてあった。
1年半、献身的に看病した姉である。
母が勧めた見合結婚の相手とうまくいかなかった、負い目のようなものも母は感じていた、と私は密かに感じていた。
私は遺留分を主張することなく、遺書に従った。
今でもその判断に後悔はないが、、
自分の子供達には献身的な看病を求めず、
僅かな財産も平等に分け与えたいと思っている。
なお、父も7年前に他界したが、、
今年のお彼岸に墓参りに帰省したら、
実家は更地にされて売りに出されていた。
姉も、自分の家があるから、手放すことにしたのだろうが・・・
遺言の約束とは違う、なんてことは毫も言うつもりはないが、、
母は、今頃、空の上で何を思っているだろう
母が亡くなった年齢に、あと10年で追いつく。
77歳で亡くなった母に、段々近づいて行く
どんどん年齢差が縮まって行くような、奇妙な気がする。
76歳で癌が見つかり、
手術で取り切れず、
再発して入退院を繰り返し、
1年半ほどで逝ってしまった。
最後は”自分の家で”、と望み、
終末専門医の訪問診療を受けながら自宅で過ごした。
(正に”自分の家”であり、母が相続した土地と、母名義の家屋だった)
最後の数ヶ月は、毎週のように東京から実家に帰ったが、、
親孝行には、ほど遠く、、
最後は、朦朧とした母に、為す術もなかった。
母が残した遺書は、
残った父に、その家に気兼ねなく住んでもらうという前提で、
母名義の土地家屋を私の姉に相続させる
というものだった。
”実家に戻って来ない○○(私の名前)には相続させたくない。
先祖から譲り受け、私が大切にした家や庭は△△(姉の名前)にずっと守って貰いたい”
などど、気の強い母らしい事も書いてあった。
1年半、献身的に看病した姉である。
母が勧めた見合結婚の相手とうまくいかなかった、負い目のようなものも母は感じていた、と私は密かに感じていた。
私は遺留分を主張することなく、遺書に従った。
今でもその判断に後悔はないが、、
自分の子供達には献身的な看病を求めず、
僅かな財産も平等に分け与えたいと思っている。
なお、父も7年前に他界したが、、
今年のお彼岸に墓参りに帰省したら、
実家は更地にされて売りに出されていた。
姉も、自分の家があるから、手放すことにしたのだろうが・・・
遺言の約束とは違う、なんてことは毫も言うつもりはないが、、
母は、今頃、空の上で何を思っているだろう
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